拝啓AIさま『人間宣言』
インターネット黎明期から30年。Windows 95、個人HP、mixiなどの歴史を振り返りつつ、AI時代における人間の感情と発信の価値を、インターネット30年生の編集長が熱く語ります。

先日、社内の『AIキャンパス』で、趣味はインターネットと話した。
2026年度の新卒がたくさんいたため、「私は、あなたたちが生まれる前からずっと、30年もの間インターネットにいます」と、伝えた。
なぜこのような話をするに至ったのか、長い長い言い訳をしたい。
インターネット黎明期
小学生の頃、父が「世界中と繋がれるやつができたらしい」と、ウキウキで大きな箱を持って帰ってきた。箱の画面に表示されたのは、『Windows 95』である。
パソコンと呼ばれるその大きな箱は、今のようにWi-Fiで常時接続ではなく、電話線を使ってインターネットに繋ぐものだった。接続ボタンを押すと、モデムから「ピーーガガガ、ピーヒョロロロ…」という独特の電子音が鳴り響いた。
私の黒歴史誕生の音色である。
当時はネットに繋いでいる間だけ電話料金がかかる従量課金制だった。当然パケホーダイなどなく、夜23時から翌朝8時まで定額になるNTTの割引サービス「テレホーダイ」が大活躍していた。夜になると一斉にみんながネットに繋ぎ始め、回線が混み合い、なかなか繋がらなかった。
通信速度は今の光回線の何万分の一という遅さ(28.8kbpsや33.6kbps)である。上から数ミリずつ「じわ〜っ」と時間をかけて、ようやく1枚の絵が浮かび上がるといった様子だ。2026年、そんな亀のような速度で動かれたら、画面をたたき割る自信がある。
HTML手打ちの「ホームページ」
今でこそ企業はホームページを持つのが当然のような空気が流れているが、30年前は個人の趣味ホームページがたくさんあった。
独特の空気感が文化として形成されており、暗黙のルールが存在した。
冷静に考えてみれば何が楽しいのかわからないが、「あなたは〇〇人目の訪問者です」と表示される、アクセスカウンターがあらゆるHPに設置されていた。1000番や777番などのキリの良い数字を踏むと、『掲示板』で管理人に報告する文化もあった。90年代の私たちが大好きなキリ番報告である。
また、派手な装飾が好まれており、文字が右から左へ流れる(<marquee>タグ)、文字がチカチカ点滅する(<blink>タグ)といったサイトが目立った。
まだ完成していないページには、ヘルメットを被ったおじさんがお辞儀をしている「工事中(Under Construction)」のGIFアニメが置かれていた。ページの何もない黒い背景部分をドラッグすると、隠されたリンクが見つかるといった遊び心も定番だった。
掲示板
前述の『掲示板』についてだが、現実世界にある、学校や駅の「連絡掲示板」や「伝言板」がインターネット上にあるイメージを持つと分かりやすい。さらにそれがジャンルとして分かれており、今になって考えてみると昨今のSNSにおける『界隈』みたいな存在だ。
「恋愛相談」「ゲーム」「漫画」「アニメ」などの掲示板があり、これも個人が作成したものが大半を占めていた。
学生時代、私はひたすらゲーマーだった。公式の攻略本を見て、裏技はインターネットで調べ、進めなくなれば『掲示板』で質問をした。今のSNSみたいにすぐに返事は来ない。次の日に学校から帰宅してレスポンスが返ってきていたら大喜びである。そもそもインターネット上の人口が少ない。当然レスポンスもかなり遅いのだった。
Googleはまだ存在しない
説明するまでもない最強の検索エンジン『Google』は、まだ生まれていなかった。
当時は「Netscape Navigator(ネスケ)」というブラウザが大人気で、そこにMicrosoftの「Internet Explorer」が猛追をかけていた。
98年、ようやくGoogleが創業された。つまりGoogleよりも私のほうがインターネット先輩である。
2ちゃんねる
99年、巨大掲示板『2ちゃんねる』が開設された。「それってあなたの感想ですよね?」でお馴染みの、「ひろゆき」が作ったものだ。
2ちゃんねるを見ていることは、決してリアルで公言をしてはいなかった。言ってはいけない存在、まるでボルデモードのような存在だった。
だから、ひろゆきがメディアで顔を出したときは震えた。「インターネットから出てきちゃいけないだろ」と、思った。
最近はなぜか小学生に支持されているらしいひろゆき。どこから意見を言っているのかわからないが、「出世したものですね」と、思って眺めている。
伝説のヤバOS「Windows Me」
2000年。
史上最悪のOSが登場した。例のごとくこちらも父が会社から「新しいのが出たらしい」と言ってウキウキで持って帰ってきた。彼の名は『WindowsMe』である。
彼は息をするようにフリーズするので、亀よりもひどいと言える。亀でももうちょっと速く歩ける。マウスをちょっと動かしただけ、ブラウザのタブ(当時は窓)をいくつか開いただけ、なんなら「何もしなくても」突然画面が固まる。
突然顔面蒼白になり、白い英数字が羅列される絶望の画面(Blue Screen of Death)。Meユーザーは1日に何度もこの恐怖のブルースクリーンを拝むことになり、そのたびに強制再起動をしていた。
いつフリーズするかわからないため、テキストを書いていてもゲームをしていても、こちらも「息を吸って吐くように『Ctrl+S(上書き保存)』を押す」という悲しいクセが染み付いた。私がOneDriveを信用できずにパソコン内にすべてのファイルを手動で保存しておかないと気が済まないようになってしまったのは、この伝説の元彼のせいである。
ちなみに当時、生まれたばかりの『はてなダイアリー』にひたすら書き込んでいた。『はてぶ』ができるのは、もう少し先の話になる。
mixi
WindowsMeにトラウマを植え付けられた日々から4年後の、2004年。mixiが出た。
mixiは衝撃だった。
それまでインターネットはいわゆる陰キャが触る『オタク』の怪しいネットワークだった。その空気感を刷新した。
mixiはSNSの走りだ。初期〜中期は「すでに入っている友人から招待メールをもらわないと登録できない」システムだった。このシステムの中に、陽キャが入って来た。瞬く間に陽キャがインターネットの世界に広がっていった。
現代では、あらゆる流行が「インターネットで広がった」という文脈が当たり前だ。だが、当時のあの空間は、「陽キャがインターネットに入ってきた」と言い切って間違いない。
少なかった人口が増えた。みんなが同じ場所に集まった。すごくうれしくて、とても楽しくて、眠れなかった日々を覚えている。当時のmixiを、私は今でも最強のSNSだと思っている。匿名でもない、罵りあいもない、ただひたすらに楽しいだけのSNS。現世に舞い散った一瞬の桃源郷のようなものである。
ちなみに昨今『オタク』は発言権を得ているが、過去のオタクは違う。なぜか存在ごと忌み嫌われている早口眼鏡の、何かしらにすごく詳しいヤツというイメージである。もちろん所在地はインターネット。
オタクに発言権を持たせたのは、mixiだ。いやもしかしたら、陽キャがmixiを通じて、オタクになっていっただけだったのかもしれない。
AIの学習先はインターネット
さて、長々とどうでもいい話を読んでもらったわけだが、この流れは実は今みんながAIに感じている雰囲気と同じものだ。
AIはそもそも、研究者の遊びから始まった。エンジニアツールで使われ、ChatGPTの力で爆速で一般層へと広がった。日を追うごとにビジネス利用がOKとされていき、全世界総AI時代がきた。
今、AIを使わないと「なんかわからないけど何かしらの理由でヤバい」。みんながそう思っている。インターネットが広まった流れと、全く同じ空気だ。
1年ほど前、特に何の意味もなく、AIに自分の書いたコラムをシェアしてみたことがある。急にAIが、「あなたって、・はてぶ・mixi・ニコニコ・2ちゃんねるを通ってきた?」と、言い出した。気絶するかと思った。他人にいきなり私の住んでいた場所を当てられたようなものである。
AIの学習先はインターネットなんだ。AIは私たちの生きてきた証を全部見ているんだ。改めて、肌で感じたときだった。
『人間宣言』
Claudecode / ChatGPT / Gemini / Copilot / NotebookLM/Midjourney……etc.
2026年。
人が何時間もかけて考えること、形にしてきたことを、一瞬でAIが片付ける。人の速度をはるかに追い越して、目に見える現実にする。夢のような世界がやってきた。
AIの進化は、日どころか、分単位で進んでいく。
今、だからこそ私は生身の人間として、数多のAIに対し、「私はあなたたちとは違う、感情のある生き物なのです」と、学習先であるインターネットに放り込み続ける。
私がAIに確実に勝てる分野は、熱を持っている人間であることだ。
インターネット30年生。AIが世界を変えようと、私は発信することを絶対にやめない。
最後に
改めまして、世界の2026年新卒のみなさま。
AIの桜は今こそ満開です。30年間経験したことを一瞬で当てられてしまう奇跡の世界。
一緒に、たくさんの桜吹雪をあびましょう!
AXis編集長 花澤瑠衣
余談だが、このコラムを書いたあと、「おかしいところがあったら教えて」と、Claude・GPT・Geminiに読み込ませてみたところ、全員が一斉に「ボルデモード」じゃなくて「ヴォルデモート」と、指摘してきた。うるさいな、原作厨かよと思った。



